K's blog

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【本】自分の仕事をつくる【読書メモ】

西村佳哲さんの「自分の仕事をつくる」。

 

(ワークショップは)ただ主体的な人々が集まれば

自然にうまく運営されるかというと、決してそうではない。

程よくファシリテイトする存在が欠かせない。

良いミーティングやものづくりの現場には、

必ずこの役割を担う人が存在している。

 

ファシリテーターやマネージャーの役割に対する

新たな気づきを与えてくれる一冊。

何度読み返しても新たな発見があります。

 

 

仕事とは自分を誇示する手段ではなく、

自分と他人に対するギフト(贈与)である。

 

内田樹さんにも通じる世界観を感じます。 

 

自分の仕事をつくる (ちくま文庫)

自分の仕事をつくる (ちくま文庫)

 

 

以下印象的な箇所を備忘も兼ねて。

 

P53

自分たちはなぜこの映画をつくるのか、なぜ作らなければならないのか。

言葉や図説を重ねて企画書のページ数を増やしたところで、

ゲームが面白くなるわけではない。

触れた時にグッとくる、得もいわれぬ何か。

それを企画書に記述するのは無理だし、

試みること自体ナンセンスかもしれない。

大事なのはコンセプトの精緻化より、むしろスタッフ間の

コンテクスト(共有知)を育むことにある。

いい仕事の現場には、その育て方が上手い人がいる。

 

P108

人が成長する仕組み。

僕が直に接しなくても、こうした中でみんな成長できる。

そんな経験の場を作ることが大切なんです。

 

P112

ファシリテーターという職能は、これまで主に

ワークショップの分野で成長してきた。

ワークショップとは、教え/教えられるといった主従関係の下に

行われる旧来の教育と異なり、参加者一人一人の主体性を軸に、

あらかじめ決められた答えのない課題について、

体験的に学び合う場をいう。

しかしこうした場も、ただ主体的な人々が集まれば

自然にうまく運営されるかというと、決してそうではない。

程よくファシリテイトする存在が欠かせない。

良いミーティングやものづくりの現場には、

必ずこの役割を担う人が存在している。

ファシリテーターは、これまでのリーダーやディレクター像に変わる、

これからのプロジェクト・マネージャー像を提供してくれている

ように思う。

 

P127

人が力を引き出されるには、どのような他者の在り方が

求められるのだろう。

叱るにせよ褒めるにせよ、それは相手に一歩踏み込む行為であり、

その時私たちはその人に対する責任を問われている。

それが踏み込む側の自我の誇示として行われる場合には、

褒めても叱っても、人の心を拓くことはない。

自信とは、文字通り自分を信じることであり、本来的に他人から

与えられるものではない。本人が自分自身で抱くものでなければ、

継続的な力の源泉にはならない。

この感覚を本人が育むために、第三者には何ができるのか。

それは「あなたには価値がある」と言葉で言うことではなく、

その人の存在に対する真剣さの強度を、態度と行動で体現すること。

人は誰もが高いエネルギーを内側に抱えている。

それは子供や青年だけでなく、高齢者も同じであり、

問題はそれをうまく消化させるチャンネルがないことにある。

内在的なエネルギーを良い形で燃焼させている人々は

生き生きとしているが、

できない人は別の歪んだ形でそれを処理せざるを得ず、

結果としてキレやすい若者のような現象が生まれている。

 

P151

同じように惹かれるものを並べ、そこにどんな要素が含まれているのか、

自分の中の何が感応しているのかを丁寧に探ってゆく。

自分が感じた、言葉にできない魅力や違和感について

「これは一体なんだろう?」と掘り下げる。

そこを掘って掘って掘って、掘り下げてゆくと、

深いところで他の多くの人々の無意識と繋がる層に達する。

人々に支持される表現は、多数の無意識を代弁している。

しかしその入り口は、あくまで個人的な気づきにある。

 

P256

仕事とは、社会の中に自分を位置付けるメディアである。

『1分間マネジャー』(ダイヤモンド社)という本。

部下の創造性を向上させるにはどうしたらいいか、

と頭を悩ませている多くのマネージャー層に対し、

「人は気持ちよく働いている時にいい成果を出す」

という、いたってシンプルな事実を提示し、そのための方法論を

具体的に記述している。

いい仕事がしたいと言う人々の根源欲求を前提に、

"マネージャーの本来的な仕事は管理ではなく、

そうしたワーカーの欲求に応え、

サポートすることにある"と言うメッセージを伝えている。

 

P274

仕事とは自分を誇示する手段ではなく、

自分と他人に対するギフト(贈与)であり、

それが結果としてお互いを満たす。これは理想論だろうか。

押し付けでは意味がないし、足元を見るなんてもってのほかだ。

その人が欲しているけれど誰にも明かされずにいる、

あるいは本人自身もまだ気づいていない何かを、

「これ?」と言って差し出すことができたら、

それは最高のギフトになる。