K's blog

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【本】私とは何か【読書メモ】

『マチネの終わりに』『ある男』などの小説でも有名な

平野啓一郎 さんの『私とは何か』。 

 

たった一つの「本当の自分」など存在しない。

裏返して言うならば、対人関係ごとに見せる複数の顔が、

すべて「本当の自分」である。

 

「個人」の代替として「分人」という

概念を提唱されています。

 

人生100年時代と言われ、

転職、副業、ボランティア、趣味のサークルなど

同時に複数のコミュニティに属することになる

これからの時代の人間観として、

全ての人が知っておくべき内容です。

 

 

250ページぐらいの文庫本なので、

1日で読破できます。

 

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

 

 

以下印象的だった箇所とその感想を

備忘も兼ねて。

 

P7

たった一つの「本当の自分」など存在しない。

裏返して言うならば、対人関係ごとに見せる複数の顔が、

すべて「本当の自分」である。

分人は、相手との反復的なコミュニケーションを通じて、

自分の中に形成されてゆく、パターンとしての人格である。

必ずしも直接会う人だけでなく、ネットでのみ交流

する人も含まれるし、小説や音楽といった芸術、自然の風景など、

人間以外の対象や環境も分人化を促す要因となり得る。

一人の人間は、複数の分人のネットワークであり、

そこには「本当の自分」と言う中心はない。 

 

P94

学校でいじめられている人は、自分が "本質的に"

いじめられる人間だなどと考える必要はない。

それはあくまで、いじめる人間との関係の問題だ。

放課後、サッカーチームで練習したり、自宅で両親と過ごしたり

している時には、快活で、楽しい自分になれると感じるなら、

その分人こそを足場として、生きる道を考えるべきである。

それを多重人格だとか、ウラオモテがあると言って責めるのは、

放課後まで学校でいじめられている自分を引きずる

辛さを知らない、浅はかな人間だ。

新しく出会う人間は、決して過去に出会った人間と同じではない。

彼らとは、全く新たに分人化する。

虐待やイジメを受けた自分は、その相手との分人だったのだと、

一度、区別して考えるべきだ。

自分を "愛されない人間" として本質規定してしまってはならない。