K's blog

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【本】評価と贈与の経済学【読書メモ】

内田樹さんと 岡田斗司夫さんの対談本。

 

特に刺さったのは "格差" についての以下の考察。

確かに普段働いている中でも、

 自分から積極的に情報発信する人には逆に情報が集まる

 自分の人脈を他人に提供する人は逆にどんどん人脈が広がる

 他人のことを良く言う人は逆にその人自身の評価が上がっていく

というのは実感があります。

 

 

経時変化を動画で流してみれば、「資源を持っている人」が

パスの流れの中にいて、すごい勢いでパスを通していて、

「資源を持たない人」は最初に来たパスをそのまま抱き込んで、

それを次の人に出さないので、そこで流れが切れて

しまっていることが一望できるはずなんです。

貨幣も情報も評価も、動いているところに集まって来る。  

 

 自分は「与えられている」のだということを自覚して

社会のためにも自分のためにもまずは自分がパッサーになる。

読むたびにそのことを思い出させてくれる一冊です。

 

250ページぐらいの文庫本なので一日で読めると思います。

 

評価と贈与の経済学

評価と贈与の経済学

 

 

 以下、印象的だった箇所を備忘も兼ねて書き留めます。

  

P92

贈与するのって、ほんとうにたいせつなことだと思う。

だって、自分がそこそこ努力して、ある程度の社会的成功を収めて、

そこそこ自由に使える資源が手に入ったっていうのは、

元々が自分の力じゃないわけですよ。

子供の時には親の世話になったし、友達とか、上司とか、

同僚とか、師匠とか、いろんな人の支えがあったからこそ

今日の自分があるわけで。

だったら、恩には恩を以ってお返しをしなければことの筋目が通らない。

自分の成功は自分ひとりで成し遂げたものじゃない、

自分がいま手元に持っているものは、自分の占有物じゃなくて、

一時的に「託されたのもの」だと考えるべきなんです。

 

P100

一九八〇年代以降のイデオロギーは、

「家族は解体すべきだ」という考え方を流布しましたよね。

自分の欲望を実現すること、好きな生き方をすることが

人間の最優先の目標だと言われてきた。

でも、そんなイデオロギーが大声で言われるようになったのって、

ほんとうにごくごく最近の話ですよ。

江戸時代でも明治時代でも、戦後すぐでも、

自己実現があらゆることに優先する」なんて言ったら、

気が狂っていると思われましたよ。

 

P129

師弟のやりとりって、基本的に一回的なものですから。 

問題は、どういうふうにすればその子が自学自習のシステムを

自分で発見して、エンドレスの成熟プロセスに自分を放り込む

ようになるか。

義務教育でもなんでも、「勉強したい」って思わなかったら、

子どもは勉強しないですよ。

だから、教師の仕事はどうやって学びを起動させる

「トリガー」を見つけるかだけなんです。

 

P145

「オレはおまえのためにこれだけの贈与をしてやる。

オレに感謝しろよな」って言って渡すような贈り物は

あんまりうまく回らないような気がする。

あっちからパスが来たから、次の人にパスする、

そうするとまた次のパスが来る。

そういうふうに流れているんですよ。

パス出さないで持っていると、次のパスが来ない。

来たらすぐにワンタッチでパスを出すようなプレイヤーの所に

選択的にパスが集まる。

時間を止めて、社会を輪切りにして見ると、

「資源を持っている人間」と「持っていない人間」の間に

量的な格差があるように見えるけど、

経時変化を動画で流してみれば、「資源を持っている人」が

パスの流れの中にいて、すごい勢いでパスを通していて、

「資源を持たない人」は最初に来たパスをそのまま抱き込んで、

それを次の人に出さないので、そこで流れが切れて

しまっていることが一望できるはずなんです。

貨幣も情報も評価も、動いているところに集まって来る。

 

P146

なんでもいいから自分から何か他人に贈与できるものは

ないかということをいつも考えていないとね。

ここに十億円あったら、みたいな妄想するときでも、

それでフェラーリ買って、ホノルルにコンドミニアム買って、

香港で満漢全席食って、・・・みたいな想像しかできない

やつはパッサーにはなれないんです。

その十億円をどう分けて、誰と誰にパスしたら、

一番ファンタスティックな展開になるかな、・・・

ということを空想していないと。